97年、仕事が激減、自分で見つけてこなければならなくなる。早くレンタル市場中心のものから脱却、本当の意味で劇場公開で勝負する映画をやりたいという希望と合致し、悲観的になることはなかった。しかし、どれも実現することはなか […]
95、96年頃はスポンサーは決まっており、資金調達をする必要はなかった。企画内容についてもジャンルや予算はほぼ決まっており、内容だけを吟味すれば良かった。場合によっては監督や主演の指定があったりもした。そういうものをこ […]
90年代の日本映画は黒澤明、大島渚、今村昌平監督ら巨匠たちが作品を発表し、その一方で北野武監督をはじめ異業種監督の台頭、中堅の相米慎二、森田芳光監督ら80年代を代表する監督たちも依然気を吐いているような状況で、興行史的 […]
映画と映画でないものを分けるものは何だろう? 当時はフィルム(16mmだが)で撮ることが映画人の矜持だったのだろうと思う、例えVシネマであっても。翻って現在、映画と映画でないものを分けるものはなにかと問われると答えに窮 […]
私がそのメーカーに在籍していた90年から94年の間にプロデューサーとして関わった作品は14本(名前が出てないものを入れるとその倍以上)。多くの制作会社から企画をもらい、こちらからも相談し仕事をご一緒した。私が担当し […]
当時、在籍していたメーカーは『静かなるドン』『ミナミの帝王』などを発売し、出せば何でもヒットするような勢いで老舗の東映ビデオやその他のメーカーよりも量産していた。それらの多くを支えていた客層はミニシアターの映画を見るよ […]
1990年代、同じ会社に在籍していた、今では有名な映画監督となった先輩が監督は40歳までが勝負で、その後はそれまで身につけたことを手を替え品を替え、再生産するだけと話をしていた。(私自身は監督ではないが)そのことが […]